いっちゃんのリュックサックを背負って

このブログは私が日本全国をリュックサックを背負って、見たこと、感じたことをありのままに書いています。どんな旅をしているか楽しみながら読んでください!

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

最後にやりたかったこと。

2019年5月4日。 10連休も終盤。 今日は仙台の地下鉄の東西線に乗って、一日仙台を満喫したい。 今回乗る仙台地下鉄東西線は、太白区の八木山動物公園から若林区の荒井駅までの全長13. 9キロ、駅数13で2015年12月に開通した。 ↑仙台市地下鉄東西線・仙台駅…

仙台に到着!!

鶴岡を出発をした高速バスは、山形自動車道から一般道の連絡道路を走る。 ただ、月山の山の中をカーブを曲がりながら南下。 スマホは、一時圏外になったところもあった。 再び山形自動車道に入ったのはお昼過ぎ、街が開けたところで寒河江サービスエリアに到…

高速バスでゆっくりと・・・。

本荘駅前を午前9時7分に出たバスは国道7号線をゆっくり南下。 ↑2列×2列の定番シート、コンセントあり。 日本海をゆっくりと南下。 電車で見る日本海とバスから見る日本海は趣が違う。 ↑スカッと晴れている日本海の車窓。 バスはにかほ市内の停留所を経…

いよいよ仙台へ。

鶴舞城趾で鳥海山を見た後は、ローソンで朝ご飯を買い、本荘駅前のバス停のベンチでいただく。 この時期は、「平成」から「令和」なので「平成」の人気になったパンがリバイバルで売られていた。 ↑懐かしい、私もよく食べていた。 ところで羽後本荘駅の中に…

由利本荘から鳥海山を眺める

2019年5月3日、10連休もはや終盤。 今日は、仙台への移動日。 朝7時過ぎにホテルを出て、由利本荘市内をお散歩することにした。 ↑由利本荘市内の朝。 まず、目に止まったのが・・・。 ↑貴法山常覚時跡。 この辺りには、江戸時代まで俳諧活動の梅林舎を兼…

再び羽越本線を北へ。

酒田駅を出た電車は、庄内の田園地帯を北上。 ↑水をはって田植えの準備が行われていた田んぼ。 更に秋田県に入ると再び日本海に出会う。 ↑夕焼け空を見ながら日本海を北上。 そして、酒田から約1時間の午後4時38分、「きらきら日本海パス」の北の果て、由…

酒田駅構内にて。

再び、酒田駅構内。 秋田方面のホームに向かおうとしていたら、蒸気機関車の関連したものを発見。 ↑蒸気機関車の車輪。 これは、9600形式蒸気機関車と言い、酒田駅の貨車の入れ換え用として活躍していたそうである。 ↑蒸気機関車の模型とジオラマ。 階段を渡…

庄内米の要中の要。

酒田街歩き、最後にやって来たのは山居倉庫という今でも現役で使われている倉庫である。 ↑明治から庄内米を支え続けている倉庫群。 ↑新緑の欅。 山居倉庫とは、明治26(1893)年に酒田米穀取引所の付属倉庫として、舟の積み降ろしに便利な最上川と新井田川に挟…

六角灯台と千石船

歩いて行くと大きな灯台が現れた。 ↑青空に映える六角灯台。 これは、明治28(1895)年宮野浦で使われていた様式木造六角灯台で昭和33年に今の灯台が完成するまで使用されていた。 光は、始めは石油ランプ、大正に入りアセチレン、昭和に入り電気により点灯し…

日和山公園にて

ここで松尾芭蕉さんはどんな句を読んでいたかをご紹介しましょう。 ・あふみや玉志亭にして 1689年、「奥の細道」の道中、酒田の近江屋三郎兵衛の玉志亭に招かれて詠んだ句。 ・温海山や吹うらかけてゆふ涼 1689年、象潟(きさかた)からの旅を終えて酒田に戻…

華やかな場所から日和山公園へ。

本町通りを歩いて、入り組んだ道を歩いていると料亭のような建物が見えてきた。 ↑またまた立派な建物。 ここは、「山王くらぶ」と言い、明治28(1895)年に料亭・宇八僂(うはちろう)と開業し、昭和16(1941)年、鉄興社独身寮の後に、昭和21(1946)年から平成11(1…

庄内の栄えている人たちの日常を感じる。

土蔵から再び戻ると台所に目が止まった。 ↑ものすごいおもてなし料理の数々。 ↑遠くまで見通せる一つ一つの部屋。(茶の間)から。 ↑帳場の再現。 普通の家でもあるし、仕事場でもあるし多機能な家になっているなぁと感じる。 今まで写真撮影が出来なかった施…

旧鐙屋を見て回る。

↑鶴岡からよく話に出てくる北前船の模型。 鐙屋とは酒田を代表する廻船問屋で昔の性は池田と言ってたが、1608年に領主・最上義光から鐙屋惣左衛門と名乗るようになったという。 そして、酒田三十六人衆として酒田の発展に寄与することになる。 ↑鐙屋の高塀。…

大通りから本町通りを歩く

↑奥の細道に関わる標柱が。 大通りから酒田市役所がある本町通りを歩いていると奥の細道に関する標柱が。 ↑今は銀行の店舗になっている。 写真の銀行の店舗になっているところには、昔、近江屋三郎兵衛宅跡だったという。 酒田の地にも松尾芭蕉さんはたくさ…

酒田について知る

本間家旧本邸から再び大通りを歩くこと3分。 酒田市の市立資料館に到着した。 ↑酒田市の市立資料館。 ここでは、酒田の歴史や酒田にまつわる資料が展示されている。 展示されていた資料の中で印象に残ったのは、「酒田の大火」の展示である。 「酒田の大火…

本間家は凄かった。

本間美術館から大通りを歩いて10分。 酒田もやはり風が強くて寒い、寒い。 ↑本間家旧本邸も連休中とあって大賑わい。 早速、入場料を払い、玄関でスニーカーを脱いで上がらせてもらう。 そして、ガイドさんの案内で広い本間家を見て回る。 本間家の歴史は、1…

早速、行こうか、酒田巡り。

初めての場所なので地図を手に入れて、散策開始。 最初に訪れたのは、酒田の庄交バスターミナルより西側にある本間美術館である。 ↑本間美術館の外観。 本間美術館は、昭和22年に戦後でボロボロになった人々の心を励まし、芸術文化の向上のために創られたそ…

翌朝、鶴岡→酒田へ。

2019年5月2日。 ↑雲の多い、鶴岡の朝。 外へ出ると冷たい風が吹きすさむ、今日は風が強く寒い一日になるとのこと。 再び鶴岡駅前へ。 ↑ようやく青空が見えた鶴岡駅前。 ↑今日は酒田方面へ向かう。 利用する列車は7時40分発の酒田行きである。 昨日に引き…

おまけと今日の閉店ガラガラの前に。

まずは、丙申堂のオマケなんだけど。 ↑石置屋根。(ガイドの方に「どうぞ撮っても良いですよ」ということで撮りました) 丙申堂の屋根は板葺きの上に石を置いて、板が風で飛ばないようにした屋根で毎年一回、石を洗い、板も汚れを落として天日干しして屋根を作…

酒井家と同じように庄内の発展に寄与した家。

さて、酒井家と同様に鶴岡を発展させた家がある。 その家が保存されている家を訪れることにする。 ↑丙申堂・薬医門。 やって来たのは、旧風間家住宅・丙申堂で、毎年4月10日〜11月30日に開いているという珍しい場所である。 中へ入り、入場料を支払い、まず…

見所はここにも。

さて、ここで箸休めで庭園を見ることに。 ↑酒井氏庭園。 ここは、酒井氏庭園(国指定名勝)といい、東北地方でも珍しい書院庭園だそうで、昔は鳥海山も見えていたんだそうな。 ↑旧西田川郡役所。 最後も立派な建物で締めくくる。 明治14(1881)年に作られ、昭和…

荘内の経済や日常を感じる。

↑綺麗に整えられた茅葺き屋根。 ここは、旧朝日村(現在の鶴岡市)に実際にあった家を昭和40年に移築した家で、旧渋谷家住宅(多層民家)。 中は昔ながらの家で、私も昔の父のお父さんの家がこんな風だったなぁと思い出した。 いろりもあり、階段を上がると小さ…

実際の兜・鎧を見る。

↑旧荘内藩主隠居殿。 続いて、お邪魔したのは1864年に11代藩主酒井忠発(ただあき)が建てた隠居所。 中には、荘内の歴史や酒井家所有、文化財が保管されている。 唯一、ここで撮影が大丈夫なのは、鎧と兜の展示であった。 ↑実際使用された兜・鎧。 ↑兜・鎧の…

プチ明治村を発見。

鶴ヶ岡城趾を出て、更に通りを歩くと再び明治時代の洋館を発見。 ↑致道博物館の入り口。 ここは、致道博物館と言い、酒井家(よく出てくるキーワード)の16代目忠良氏が郷土文化向上のために昭和25(1950)年に文化財を寄付して創設された。 ちなみに致道とは荘…

ひっそりたたずむもう一つの神社。

↑荘内神社に負けず劣らず立派な神社。 時間を少し巻き戻して、荘内神社を訪ねる前に負けず劣らずの立派な神社があった。 ここは、鶴岡護国神社と言い戊辰戦争、西南戦争でなくなった藩士を祀るために、酒井家の13代目藩主酒井忠篤(ただずみ)が1895年に建立し…

まずは鶴岡を知り、鶴岡の心の拠り所へ。

まずは、白壁と赤い屋根が特徴の大宝館へ。 ↑立派な造りの大宝館。 大宝館は大正天皇の即位を記念して1915年に建てられた。 中は、鶴岡出身の有名人の関係する品物が展示されている。 そして、奥に移動すると神社が見えてきた。 鶴岡を代表する神社、荘内神…

いよいよ鶴岡の中心地へ!

鶴岡駅の構内には、鶴岡ハチ公の模型が置かれていた。 ↑鶴岡ハチ公のモニュメント。 地図で調べたところ鶴岡の中心地と鶴岡駅は離れたところにあり、みどころも集中しているとのことだったのでバスで向かう。 バスに揺られること約5分、鶴岡市役所前のバス…

村上を抜けるとそこは日本海。

村上駅を出発して、トンネルを抜けると目の前には日本海が広がる。 ↑雄大な日本海が広がっている。 ところで、羽越本線は電化されているのになぜ、気動車が走ってるか? 羽越本線は新潟〜村上間は直流(1500V)で村上〜秋田間は交流(20000V)なので、特急や快速…