↑鶴岡からよく話に出てくる北前船の模型。
鐙屋とは酒田を代表する廻船問屋で昔の性は池田と言ってたが、1608年に領主・最上義光から鐙屋惣左衛門と名乗るようになったという。
そして、酒田三十六人衆として酒田の発展に寄与することになる。
↑鐙屋の高塀。
↑鐙屋の井戸。
土間を歩き続けると別棟に土蔵があった。
↑別棟の土蔵。
別棟の土蔵では映像を通じて鐙屋のことを解りやすく紹介していた。
↑旧鐙屋の屋根の模型。
旧鐙屋の屋根は石置杉皮葺屋根で杉の皮の上に石を置いたもの、これは鶴岡で訪ねた丙申堂と似ているものがある。