いっちゃんのリュックサックを背負って

このブログは私が日本全国をリュックサックを背負って、見たこと、感じたことをありのままに書いています。どんな旅をしているか楽しみながら読んでください!

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

いよいよ加太さかな線内に。

和歌山市駅3番のりばを出発した加太さかな線の電車は、静かにホームを離れる。 ↑紀ノ川を渡っています。 紀ノ川駅から加太さかな線に入る。 ほどなくして、最初の停車駅の東松江駅に到着。 ↑東松江駅の構内。 ↑東松江駅の駅舎。 周囲は住宅地のため、あんま…

和歌山市駅の加太さかな線ホーム。

さっそく乗車券を改札機に入れて、加太さかな線のホームに立つ。 ↑加太さかな線のマーク、めでたいが。 ↑ここにもめでたいマークが。 最初にやってきたのは、普通の加太さかな線の電車。 ↑加太さかな線のスタンダードの電車。 ↑車内はこんな感じ。 まずは、…

翌日、和歌山市駅にて。

翌日、ホテルから見る光景は穏やかだったが・・・。 ↑ホテルから見た和歌山の朝。 ホテルから一歩出ると強い風が吹いていて、冬のなごりを感じさせた。 そして、再び南海和歌山市駅へ。 改札口横のインフォメーションカウンターで今日一日お世話になる切符を…

今の和歌山市駅

紀和駅を出た電車は高架を降りて、静かに南海和歌山市駅に申し訳なさそうに停車する。 ↑今の南海和歌山市駅。 以前はレンガ造りの建物で、高島屋やホテルが入っていたが、今は再開発のため取り壊されて新たなビル作りが始まっていた。 ↑改札口はこんな感じ。…

紀和駅前を探索する。

ということで駅を見るとホームは1つ。 簡易型の自動券売機にICカードに対応した簡易自動改札機が1台。 ↑紀和駅の改札口。 外は、コンクリートにJR紀和駅と書かれて北側にはマンション、南側には昔の住宅地になっていた。 ↑北側(マンションが立ち並ぶ)から…

今日の閉店ガラガラの前に・・・。

時刻は午後4時過ぎ、そしてなおかつ雨、やることは限られるなぁ。 あっ、そうだ。 ここ和歌山駅と南海とJRの和歌山市駅に挟まれた駅に行こうと思い、和歌山線がある7・8番のりばへ。 ↑和歌山線には中間改札が備えられている。 ↑和歌山線ホームの行き先案…

和歌山駅に到着。

目が覚めるともう日根野駅の手前。 日根野駅で関空快速と紀州路快速が切り離される。 私も紀州路快速の車内へ移動。 ↑紀州路快速の側面。 ↑紀州路快速の車内。 関空快速が先に関西空港へ向けて出発してから程なくして紀州路快速も和歌山へ向けて出発。 しか…

阪和線から南へ進路をとる。

↑天王寺駅に停車中の関空・紀州路快速。側面を一枚。 紀州路快速とは、天王寺駅から環状線・内回りをぐるっと一周して、再び天王寺駅からは、阪和線に入り、和歌山駅(一部は海南・御坊・湯浅駅まで)に向かう。 デビューは1999年。現在は関空快速・紀州路快速…

発車メロディーと川で大阪を感じる。

大阪環状線に乗っていると川をよく見かけることに気づかされる。 最近は、発車メロディーも変わっているんだよね。 ↑桜ノ宮駅の近くで咲いていた桜。 流れていたのは、「さくらんぼ」という曲。 ↑大川にかかる鉄橋を渡る。 天満では、「花火」という曲が発車…

紀州路快速で出発!

京橋駅は、学研都市線・東西線と大阪環状線がクロスしているが、 ↑学研都市線の区間快速・木津行き。 今回乗るのは環状線の内回り乗り場から。 ↑行き先がいっぱい。もちろんUSJもあります。 ↑英語の表示になっているが(苦笑)、乗るのは紀州路快速。 「紀州路…

今回の旅のスタートは大阪・京橋駅から。

2019年3月30日、今回の旅のスタートは大阪の京橋駅から。 ↑京阪京橋駅。 京阪京橋駅もひかれるけど・・・。 今回乗るのはJR京橋駅。 ↑JR京橋駅。 その日、何故かいつも財布の中に入れているICカードを忘れてしまい、現金で切符を購入。 ↑京橋駅から1080円区…

今回のゴール、岡崎公園前駅。

二十七宿曲がりを歩き終えて、午後3時。 愛知環状鉄道の高架下を南へ歩くこと5分。 今回のゴール地点、岡崎公園前駅に到着。 ↑岡崎公園前駅。 二十七宿曲がりの地図がここにも設置されていた。 ↑岡崎二十七曲がりの地図。 ということ、今回は東海道を歩い…

更に歩き続ける。

後半に入り、西へ向かうにつれ郊外へ向かっていくのが感じとれる。 ↑西側に流れている小川。 そして、周辺には岡崎名物・八丁味噌の味噌蔵も見えてきた。 ↑岡崎名物・八丁味噌の蔵たち。 この辺りは八丁村と呼ばれた案内碑を見つけた。 ↑八丁村の案内碑。 そ…

岡崎の中心部に入る。

中心部に入ると、小さな石像が道端に設置されていた。 ↑岡崎宿伝馬プロムナード(一部) これは、「岡崎宿伝馬プロムナード」と言い、道の両端に街道旅に関係があるものを石像にして紹介しているそうだ。 そして、田中吉政の大きな石像に出会う。 ↑本格的な田…

歩いていると発見が。

曲がることが多いが、色んなものが発見できる。 ↑常夜燈。 この常夜燈は岡崎の文化財の中では、もっとも古いものとされている。 歩き続けると竜宮城みたいな建物を発見。 ↑竜宮城みたい。 ここは圓頓寺という。 ↑お寺なのに鳥居もある。 二十七宿曲がりは中…

いよいよ二十七宿曲がりを歩く。

では、早速岡崎二十七宿曲がりを歩いてみることに・・・。 ところで、岡崎城二十七曲がりとは何か? 1590年8月。田中吉政が岡崎城に入り、城下に入り整備に入ったことが始まりされて、知立市との間にある矢作川に橋をかけて、東海道を岡崎城の下に引き込ん…

大岡さんの後は。

大岡越前さんを祀る神社、大岡稲荷社もあった。 ↑大岡越前さんの本殿。 ↑ここにも灯籠が・・・。 岡崎に入ってやたらと灯籠を見かけるようになった、何か関係がありそうだ。 しかし、中心地とはかなり離れているので、しばらく私は東名高速の岡崎インターの…

手がかり見つけて・・・。

手がかりを探して国道1号線を歩いていると、 ↑岡崎宿の案内。 地図からして岡崎宿が広いことがよくわかる。 ↑大きな灯籠。 またテレビ時代劇でお馴染みの「大岡越前」のゆかりの地が岡崎である。 ↑大岡越前の陣屋の跡地。 中に入るときれいな公園として整備…

まずは岡崎宿の入り口へ。

東岡崎駅に着き、調べると岡崎宿は広い。 そこで、最初の入り口へ向かうため、路線バスを使うことに。 ↑東岡崎駅前。 ↑東岡崎駅前バスターミナル。 バスに乗り中心部から東へ進むこと約20分。 大平西町のバス停に到着。 バス停に降りたと同時に現れたのが、…

ちょっと遠足気分。

藤川駅に戻るとちょうど電車が発車していくところだった。 ↑藤川駅の駅舎。 時刻表を見ると日中は30分間隔で、1時間に2本になる。 ホームに着きベンチに座って、昨日、二川宿で買ったお菓子を食べることに。 ↑二川宿で買ったお菓子の袋。 ↑美味しそうなお…

松林が見えてきた。

引き続き小学校前に、 ↑西棒鼻詰跡。 そして、見逃せない建物がもう一つ・・・。 ↑十王堂。 これは、十王堂といい、死者の魂を裁く十人の王が祀られているという。 あっ、松林と一里塚の跡が見えてきた。 ↑藤川宿の一里塚跡。 ↑藤川宿の松並木。 藤川宿はこ…

芭蕉さんはここにも来ていた

小学校の前にやって来ました。 ↑藤川宿の案内の立て札。 松尾芭蕉さんはここでも一句読んでいました。 ↑松尾芭蕉の句碑。 ↑芭蕉さんの句の紹介の立て札。 どんな句か、 「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」 調べると、かきつばたの紫とむらさき色の麦を…

数多くの跡が遺されている

ここにも数多くの跡が遺されている。 ↑藤川宿の高札場の跡地。 ↑藤川宿の問屋場の跡地。 ↑藤川宿の本陣跡。(今は公園になっている) ちなみに高札場には何が書かれていたか。 ①藤川よりの駄賃並人足賃。 ②駄賃並人足荷物次第。 ③親子兄弟夫婦みな親しく。 ④切…

まずは、入り口から

ひとまず、赤坂宿よりに歩いて入り口から入る。 ↑藤川宿の入り口。 歩いているとお寺さんの案内標識を発見。 名古屋本線の踏切を渡り、国道1号線の下をくぐる。 ↑お寺を発見。 ここは、徳性寺といい、1611年に建てられてから建物の造りが変わっていないとい…

ギュッと詰まった藤川宿。

電車は豊川市と岡崎市の山を超えて、岡崎市に入る。 本宿で急行・岐阜行きの待ち合わせと快速特急・新鵜沼行きの通過待ちをして次の宿場町の藤川に到着。 ↑藤川駅の駅標。 藤川駅の宿場町の地図を見ると今日の宿場町の中では、ギュッと詰まっている感じがし…

赤坂宿を歩ききる。

更に歩くと・・・。 ↑赤坂宿の陣屋があった場所。 明治維新の際には三河県の役所が置かれたという。 向かい側には、 ↑休憩場所。 こうして、御油宿から赤坂宿まで連続して歩き、国道1号線を渡り、再び名鉄名古屋本線へ。 ↑名電赤坂駅の駅舎。 ↑名電赤坂駅の…

中心部を通り過ぎると・・・。

中心部にやってきました。 赤坂宿は、現在、豊川市音羽町になっているが、昔は宝飯(ほい)郡音羽町と呼ばれていた。 ↑赤坂宿の中心部。 中心部では、旅篭屋が多くなる。 ↑赤坂問屋場の跡地。 問屋場とは江戸幕府が管理して宿場町を運営や管理をしていた場所で…

赤坂宿を歩く。

赤坂宿を歩いていくと・・・。 ↑関川神社。 そして、松尾芭蕉はここで一句読んでいる。 ↑松尾芭蕉の句碑。 夏の月 御油より出てて 赤坂や 意味を調べてみると、この句は、夏の夜の短さと、わずか16町(両宿問屋跡)と近接する赤坂と御油の距離の短さを読んだ句…

宿がつながっている御油宿と赤坂宿。

松林を抜けると次の建物が広がってきた。 ↑新しい宿場町か? 見ると宿場町の境目となる建物跡と案内の表示が。 ↑赤坂宿の見附跡。 見附跡と良い宿場町の境界線と良い、入り口と出口に行き交う人々を監視するために建てられ、明治時代に廃止された。 てなわけ…