まずは鶴岡を知り、鶴岡の心の拠り所へ。
まずは、白壁と赤い屋根が特徴の大宝館へ。
↑立派な造りの大宝館。
大宝館は大正天皇の即位を記念して1915年に建てられた。
中は、鶴岡出身の有名人の関係する品物が展示されている。
そして、奥に移動すると神社が見えてきた。
鶴岡を代表する神社、荘内神社である。
荘内神社がある場所は元々は鶴岡城で、藩主であった酒井家の4人が祀られている。
二代・酒井家次は徳川家の基礎を固め、酒井家の地位も固めていった。
三代・酒井忠勝は「米の国・荘内」の基礎を築く。
四代・酒井忠徳(ただあり)は、藩の財政の建て直し、農民を助け、人材育成に尽力した。
とされている。
明治時代になり、1877年鶴岡城の跡地に酒井家を尊敬する人たちによって荘内神社が建てられた。
↑荘内神社の鳥居。
↑荘内神社に咲いていた桜たち。
この日は、令和最初の日でたくさんの人たちで賑わっていた。
↑荘内神社の本殿。
本殿の横には記帳所が設けられていたので、私も令和スタートを祝い記帳させていただいた。
いよいよ鶴岡の中心地へ!
鶴岡駅の構内には、鶴岡ハチ公の模型が置かれていた。
↑鶴岡ハチ公のモニュメント。
地図で調べたところ鶴岡の中心地と鶴岡駅は離れたところにあり、みどころも集中しているとのことだったのでバスで向かう。
バスに揺られること約5分、鶴岡市役所前のバス停に到着。
ここから、歩くと鶴岡城趾に到着。
↑鶴岡市の前身鶴岡町役場の跡地。
高山樗牛は、鶴岡市で生まれ、1894年に読売新聞の懸賞小説に「滝口入道」で入選し文壇にデビューし、1896年に仙台の第二高等学校(東北大学の前身)の教授になるも、ストライキで辞任し、編集者として評論を書いたり、ロマン主義的な美文を書いたりした。
晩年は、ニーチェ思想を個人主義の立場から紹介したり日蓮の研究を行っていた。
では、鶴岡城趾の中に入って行きましょう。
村上を抜けるとそこは日本海。
村上駅を出発して、トンネルを抜けると目の前には日本海が広がる。
ところで、羽越本線は電化されているのになぜ、気動車が走ってるか?
羽越本線は新潟〜村上間は直流(1500V)で村上〜秋田間は交流(20000V)なので、特急や快速・きらきらうえつは交直の電源切り換えがあるので走れるけど、普通列車はコストがかかるので気動車を導入しているという話を聞いたことがある。
ただし、酒田から先は普通列車は電車なんだけど。(酒田は新潟支社と秋田支社の境目だから)
↑まだまだ日本海の車窓が続く。
↑庄内の田園地帯を走る。
そして、午後12時2分、初めて東北・山形の鶴岡に到着した。
↑西郷隆盛ゆかりの地ののぼり。
↑立派な造りの鶴岡駅の駅舎。
坂町から羽越本線へ。
坂町駅から昨日、新潟駅のえきねっと券売機で購入したフリー切符を使う。
↑きらきら日本海パス。(後で家で撮影)
この切符は羽越本線を中心に沿線の指定された路線バス、由利高原鉄道にも2日間乗り放題で税込2570円。新潟駅や新発田駅のえきねっと券売機でも買うことが出来るが、フリーゾーンの入り口になる坂町駅までは別に運賃がかかるので注意が必要。
フリー切符の改札を受けて再びホームで待っていると午前9時51分発、村上行きがやって来た。
お馴染みになったE129系で村上へ。
村上駅に到着。
ここから乗り換え。
↑村上でE129系とはお別れ。
ここから気動車で鶴岡へ向かう。
↑村上駅の駅標。
↑キハ40系・4両編成。
↑行き先表示も昔ながら。
↑キハ40系の車内はこんな感じ。
列車は午前10時24分、気動車独特の音をたてて鶴岡・酒田方面へ出発した。
ちなみに普通列車はこの列車の後は、午後1時過ぎまで列車はないので普通列車で行く方はご注意ください。
いよいよ東北へ進軍!
令和元年(2019年)5月1日。
新潟駅付近でお金を用意して、高速バスのチケットをコンビニで購入して新潟駅に入る。
まずは、坂町駅で歩を進めていく。
高架の部分は見晴らしがよく、特急「いなほ」と上越新幹線の乗り継ぎが隣のホームになっているか乗り換え客で賑わっている。
そして、山形方面へ向かう列車はこれ。
↑米坂線経由の山形行き、快速・べにばな。
↑米沢行き快速の方向幕。
2両編成だが、たくさんの人たちで大にぎわい。
定刻通りの午前8時40分、列車は一路坂町方面へ。
普通はローカル線をコトコト走る気動車も快速区間もものすごい馬力を発揮して小駅を次々と通過していく。
午前9時32分、坂町駅に到着。
私は、村上方面へ向かうためここで下車。
ICカードで乗車したため、一旦この駅で新潟駅から料金を精算。
ひと息ついて、ここからフリー切符で村上方面へ向かう。
↑JR坂町駅の駅標。