いっちゃんのリュックサックを背負って

このブログは私が日本全国をリュックサックを背負って、見たこと、感じたことをありのままに書いています。どんな旅をしているか楽しみながら読んでください!

おまけと今日の閉店ガラガラの前に。

まずは、丙申堂のオマケなんだけど。


f:id:wakudokihappy:20190710224029j:image

↑石置屋根。(ガイドの方に「どうぞ撮っても良いですよ」ということで撮りました)

 

丙申堂の屋根は板葺きの上に石を置いて、板が風で飛ばないようにした屋根で毎年一回、石を洗い、板も汚れを落として天日干しして屋根を作っていくそうである。

 

さて・・・、今日の閉店ガラガラの前にだけど。


f:id:wakudokihappy:20190710224958j:image

庄内藩校、致道館の入り口。

 

致道館は、酒井家9代目忠徳(ただあり)が藩政を良くするために1805年に作った学校である。

 

最初は鶴岡駅前にあったが、1816年に鶴ヶ岡城の近くに移された。


f:id:wakudokihappy:20190710225609j:image

↑聖廟(せいびょう)、奥には孔子の像がある。

 

聖廟では、毎年2月と8月に孔子を祀る行事が行われたという。


f:id:wakudokihappy:20190710230003j:image

↑講堂。

 

始業式は講堂で行われ、その他にも藩の役人が集まっての打ち合わせが行われたという。

 

ちなみに致道館の教育の方針は、「天性重視」、「個性伸長」・「自学自習」、「会業の重視」である。

 

じっくり感じてみると詰め込み教育ではなく、持って生まれた一人一人の才能を自分自身で対話をしながら磨くという教育方針だったのをふとよぎったのである。

 

その他にも


f:id:wakudokihappy:20190710230800j:image

↑西御門。

 


f:id:wakudokihappy:20190710230915j:image

↑東御門。

 

教職員や藩役人が出入りした西御門や生徒が出入りした東御門を見ることができた。

 

という訳で午後から弾丸ツアーのように鶴岡を周り、江戸から明治にかけての鶴岡の躍動ぶりに目を見張るものがあり、祖先が造り上げたものがあるから今があると改めて感じさせられた令和最初の日の午後でした。

 

酒井家と同じように庄内の発展に寄与した家。

さて、酒井家と同様に鶴岡を発展させた家がある。

 

その家が保存されている家を訪れることにする。


f:id:wakudokihappy:20190709230032j:image

↑丙申堂・薬医門。

 

やって来たのは、旧風間家住宅・丙申堂で、毎年4月10日〜11月30日に開いているという珍しい場所である。

 

中へ入り、入場料を支払い、まずは通りを歩き、ガイドさんの案内でDVDを見ることに。

 

ここで風間家の歴史を紐解くと風間家の祖先は、越後にあり武士から商人になり、村上・酒田を経て、鶴岡には18世紀後半に移住したと伝えられているそうである。

 

鶴岡の地で風間家は、藩の御用商人として呉服商人として商いを行い、幕末には鶴岡一の豪商になった。

 

明治に入ると貸金業に転じ、酒田の本間家(この後訪ねることになる)に次ぐ大地主になった。


f:id:wakudokihappy:20190709231206j:image

荘内銀行の本店。

 

上の写真の荘内銀行は、本間家が作った銀行で現在は鶴岡市酒田市の指定金融機関になっている。

 

家の広さから如何に本間家が繁栄していたかが伺い知れる。

見所はここにも。

さて、ここで箸休めで庭園を見ることに。


f:id:wakudokihappy:20190708215451j:image

↑酒井氏庭園。

 

ここは、酒井氏庭園(国指定名勝)といい、東北地方でも珍しい書院庭園だそうで、昔は鳥海山も見えていたんだそうな。


f:id:wakudokihappy:20190708215823j:image

↑旧西田川郡役所。

 

最後も立派な建物で締めくくる。

明治14(1881)年に作られ、昭和47(1972)年に移築された旧西田川郡役所で明治天皇がここでお泊まりになられたそうである。

 

ここまで見てきて、農業、漁業から海運、近代化まで庄内地方の歴史がギュッと詰まったスポットでした。

 

そして、時計を見ると午後3時過ぎ、まだまだ閉店ガラガラには早すぎるということで地図を見ると気になる場所があったので歩を速めて向かうことにした。

荘内の経済や日常を感じる。


f:id:wakudokihappy:20190707111613j:image

↑綺麗に整えられた茅葺き屋根

 

ここは、旧朝日村(現在の鶴岡市)に実際にあった家を昭和40年に移築した家で、旧渋谷家住宅(多層民家)。

 

中は昔ながらの家で、私も昔の父のお父さんの家がこんな風だったなぁと思い出した。

 

いろりもあり、階段を上がると小さな部屋があって光も入る窓も取り付けられていた。

 


f:id:wakudokihappy:20190707112253j:image

↑民具の蔵。


f:id:wakudokihappy:20190707112331j:image

↑重要有形民俗文化財収蔵庫。

 

民具の蔵や重要有形民俗文化財収蔵庫では、農業だけではなく、北前船を利用した海運(荘内から日本海〜太平洋を渡って大阪へ行ったこともあるという)や最上川での漁業(盛んに行われていた)、養蚕(現在注目されているサムライシルクの元になっている)の様子を実際に使われていた道具を通じて展示されていた。

 

実際の兜・鎧を見る。


f:id:wakudokihappy:20190705151122j:image

↑旧荘内藩主隠居殿。 

 

続いて、お邪魔したのは1864年に11代藩主酒井忠発(ただあき)が建てた隠居所。

 

中には、荘内の歴史や酒井家所有、文化財が保管されている。

唯一、ここで撮影が大丈夫なのは、鎧と兜の展示であった。


f:id:wakudokihappy:20190705151540j:image

↑実際使用された兜・鎧。


f:id:wakudokihappy:20190705151802j:image

↑兜・鎧の説明書。

 

この兜・鎧は、鉄黒塗萌葱糸威仏胴具足(てつくろぬりもえぎいとおどしほとけどうぐそく)と言い、合計で10.55キロの重さで江戸時代の初期に作られたものを再現したものである。

 

約11キロの兜・鎧を来て戦をするのはよっぽど武士の人たちは、タフで身軽な人たちが多かったんだろうなと感じてしまった。

プチ明治村を発見。

鶴ヶ岡城趾を出て、更に通りを歩くと再び明治時代の洋館を発見。


f:id:wakudokihappy:20190705140749j:image

↑致道博物館の入り口。

 

ここは、致道博物館と言い、酒井家(よく出てくるキーワード)の16代目忠良氏が郷土文化向上のために昭和25(1950)年に文化財を寄付して創設された。

 

ちなみに致道とは荘内藩校致道館に由来している。

 

では、上の写真にある赤門から入って入場券を買い、散策を開始する。


f:id:wakudokihappy:20190705141329j:image

↑旧鶴岡警察署庁舎。

 

まずやってきたのは、明治17年(1884)年に建てられ、昭和32(1957)年に移築された旧鶴岡警察署庁舎。

 

明治前期に建設された擬洋風建築のひとつの到達点を示すもので、去年、修復工事が終わったばかりだそうである。


f:id:wakudokihappy:20190705141814j:image

↑取調室。(警察官から見た場合)


f:id:wakudokihappy:20190705141925j:image

↑取調室。(犯人からみた場合)

 

取調室の体験をして見ると江戸時代の奉行所の時代劇によくある光景を思い出すとわかりやすい。

 

犯人側が警察署側より一段低くなっているのがよくわかる。

 

更に2階へ上がると鶴岡市の中心部が一望出来る。


f:id:wakudokihappy:20190705142347j:image

↑2階から見た鶴岡市内の風景。

 

ひっそりたたずむもう一つの神社。


f:id:wakudokihappy:20190704122535j:image

↑荘内神社に負けず劣らず立派な神社。

 

時間を少し巻き戻して、荘内神社を訪ねる前に負けず劣らずの立派な神社があった。

 

ここは、鶴岡護国神社と言い戊辰戦争西南戦争でなくなった藩士を祀るために、酒井家の13代目藩主酒井忠篤(ただずみ)が1895年に建立した。


f:id:wakudokihappy:20190704131551j:image

明治天皇もこの辺りを訪れたことを示している。


f:id:wakudokihappy:20190704131828j:image

↑お城としての跡も残っている。

 

そして、荘内神社を訪れた跡は近代風の建物に出会う。


f:id:wakudokihappy:20190704132001j:image

鶴岡市藤沢周平記念館。

 

ここは、鶴岡市出身の作家、藤沢周平の作品の生の原稿、作品を書いていた書斎が再現されていたり、藤沢作品と荘内の関わりが詳しく紹介されている。

 

一つ一つ見ていく中でいかに荘内を愛して、読者に荘内の魅力を伝えていたか伝わってくる。


f:id:wakudokihappy:20190704132631j:image

↑周囲にはきれいなお堀に囲まれている。