気賀宿に入る。
では、長楽寺の鐘をつかせてもらおう。
↑長楽寺の鐘。
ドリフコントみたいに鐘が動いたり、櫓が落ちたり、タライが頭に落ちたりしないかと冗談を混じらせながら、せ〜の、ゴーン!
わっ、よく響くわ〜。
鐘の音は約2分ぐらい続いたか、低い音で「ゴーン」と鳴り響いた。
そして、お礼にお賽銭を入れて気賀駅へ向けて歩き続けると、気賀宿にまつわるものが目に飛び込んできた。
↑宿場町あるあるの常夜灯。
まずは、宿場町にはよく常夜灯。
横には気賀宿の歴史が書かれていた。
要約すると・・・。
気賀宿は1587年に街道の宿場町として定められ、本陣や問屋場・旅籠をはじめ約100軒ほどの町並を作っていた。
灯籠は、気賀の町の安全を秋葉山に祈願した常夜灯で若者たちが中心となってお金を集めて、1857年に建てられたものである。
更にその隣にはお墓らしきものが、
↑獄門畷のあった場所。
ここは、獄門畷と言い、1560年に桶狭間の戦いで今川義元が戦死して、徳川家康の遠州侵攻を防ぐために気賀の人々が最後まで堀川城を造り戦った。
1569年に堀川城に2000人が立てこもったが、家康軍によって落城し約700人がここで打ち首にあい、この辺りの土手にさらし首が置かれたことから獄門畷と呼ばれている。
戦った人たちがいるから、今も気賀宿は生きているのを感じながら私は手をあわせたのである。