出雲国風土記にも出ている。
↑出雲国風土記登場の碑。
さて、美保関灯台には歴史に関係するものが結構ある。
写真にもある出雲国風土記がそれである。
「出雲国風土記」って何か。
出雲国風土記とは、713年に日本各地の特産物や土地の様子、地名の由来、伝承などを記録し、まとめたのが風土記で、733年に完成した出雲国風土記は、ほぼ完全な形で現存する唯一の風土記である。
美保関、地蔵崎は島根郡の部分で登場していて、風土記では、国引き神話で地蔵崎は「三穂の埼」と呼ばれ、大国主命(おおくにのみこと)が「高志の都都の三埼」を切り取って引いてきたとされている。
「高志の都都の三埼」は能登半島の珠洲岬を指していて、山陰と北陸の交流が盛んであったとされているという。
そして、美保関は古くから海上交通の要所になっていたという。
↑「出雲国風土記」に記されていた島根郡。
そして、美保関灯台には俳人の高浜虚子や与謝野鉄幹・晶子夫妻も訪れていて文学の面においても愛されていたことが窺い知ることが出来る。