河口湖駅で見つけた富士急行のご先祖様たち。
河口湖駅前では、静態保存されている電車を発見。
↑静態保存されているモ1号。
このモ1号は、富士急行の全身である、「富士山麓電気鉄道」が1929年(昭和4年)の開業の際に作られた車輌で、モ1号からモ5号まで5両が製作されたもので、電気ブレーキや砂まき装置をつけるなど当時としては、最新鋭の車輌だったそうである。
↑モ1号を紹介しているプレート。
そして、河口湖駅の中にももう一つ、昔、富士急行で活躍していたものがある。
↑以前、富士急線の線路として使われていたもの。
柱には、UNION D 1885 I.R.J と書かれている。
これは、1885年にドイツにあったUNIONという会社でレールであることを示しているそうである。
時代は変わり、富士山が世界遺産に登録され、世界中の人たちが富士山を目指すとは当時の富士急行を作った人たちは創造していなかっただろう、今の状況を見たらびっくりするかもしれないと感じた。
富士急行のご先祖様の偉大な功績を見て、手を合わせて、河口湖駅の中を歩いているとある駅弁に目が止まった。
私は、この駅弁とお茶を買い、次の目的地、下吉田駅へ向かうのであった。