本田宗一郎の言葉
本田宗一郎ものづくり伝承館には、本田宗一郎の言葉が展示されている。
戦後間もない頃、本田技術研究所を旗揚げしたものの宗一郎は、何を作って商売したらよいか模索していた際に、偶然捨てられていた発電用エンジンに出会った際に自転車と小型エンジンを組み合わせられないか、すぐに補助エンジン付き自転車として製品化され、自動車生産の道筋を作った。
宗一郎は、子供のころから勉強が苦手で、もっぱら遊びやいたずらに熱中していた。自動車が村に訪れる旅に追っかけたり、学校を無断で休んだりしてまで見物した飛行機ショーでの感動は魂を揺さぶり、ものづくりへの情熱やエネルギーが蓄えられていった。
1960年代後半にエンジンを巡って、議論を組み合わされている中、1970年のアメリカの排ガス規制への対応を巡り、思考錯誤の末、1972年10月、世界初の低公害エンジンシステム・CVCCを送り出す。
一つ、一つの言葉にずしんと来るものがある。
私からはもう何も言うことはないだろう。
↑本田宗一郎の手の図の説明されている。
更に、本田宗一郎と一緒に日本の製造業や経済を支えてきた人の「本田宗一郎について」語っている。
一人、一人の証言から、いかに本田宗一郎をリスペクトしていて、影響を受けているかがよく変わる。
ものづくり伝承館は、特別展示がある時は有料だが、普段は無料で見ることができる。
偶然出会った場所で、本田宗一郎のエネルギーを感じながら、次の場所へ向かうことにした。