艦船が見えてきた。
赤レンガ地帯を過ぎると再び舞鶴湾が見えてきた。
そして・・・。
↑海上自衛隊の艦船が停泊中。
冷たい北風の中、艦船が停泊が止まっていた。
歩道橋から眺めて、降りてフェンス沿いを歩いていると、「土日祝は近くから見ることができますよ」と書いてある。
コロナウイルスでザワザワしているけれど、ダメ元で行ってみるかと正門まで近づいていくと案の定かな・・・。
↑見学中止のお知らせが。
行った当時(2020年2月23日)はイベントや施設の自粛の依頼はなかったのだが、でもコロナウイルス対策にもなっていたのかもしれない、仕方ないなと感じて、次のバスが来るまで歩道橋の上から艦船の大きさを感じて、スマホを横にしても入りきれないサイズの写真を撮影することに。
さて、ここからどうしようか。
ちょうど、時計は正午を過ぎている。
この辺りでうろうろするよりも西舞鶴エリアへ行ったほうが早いかもしれないと感じた私は、循環バスに乗り、西舞鶴方面へ向かった。
舞鶴赤レンガ博物館。
↑舞鶴赤レンガ博物館の外観。
ここは、舞鶴赤レンガ博物館と言って、赤レンガについて様々な展示がされている。
外には世界の赤レンガの数々が並べられている。
↑あんな赤レンガや・・・。
↑こんな赤レンガも・・・。
なぜ、舞鶴と赤レンガなのか?
パンフレットなどを見ると、舞鶴には前回紹介した建物のような倉庫や工場など海軍関係の施設を中心に、要塞や鉄道施設、全国に4つしかないホフマン窯など、数や用途が多い点で舞鶴は日本有数の赤レンガの街だという。
↑館内にあるホフマン窯の再現された場所。
レンガの起源は約1万年前に古代文明(エジプト、メソポタミア、インダス、中国)から使い始めたとされている。
館内は赤レンガの歴史や日本のレンガの歴史やレンガの作り方、歴史の証言者(原爆ドームやアウシュビッツなど)としてのレンガが展示されている。
ここに来て見るだけでも、レンガがただの建築物だけではなく、たくさんの歴史を見てきて深味を増してきたんだなと感じるようになるかもしれない。
レンガ博物館を見た後、私は気になるおみやげ(後で開けました)を買い、バスまで時間が開いていたのでしばらく歩くことにした。
赤レンガがいっぱい!
京都交通の路線バスで移動する場合は西舞鶴駅と東舞鶴駅の循環バスが便利。
特に東舞鶴駅からだと左回り、西舞鶴駅からだと右回りルートが観光スポットにたどり着きやすい。
私は東舞鶴駅からの左回りの循環バスに乗車。
東舞鶴の市街地を抜けたところに舞鶴市役所の最寄りバス停、市役所前がある。
その近くには・・・。
↑赤レンガの建物がいっぱい。
ここは、舞鶴赤レンガパークと言い、昔、舞鶴は旧海軍の要衝であり、武器倉庫などに使われていたが、整備されて今は博物館(後で触れます)、イベントホールやレストランなどにリニューアルされている。
赤レンガパークを抜けるとやや北風が強かったが穏やかな日本海が広がっていた。
そんな中、目的地の赤レンガ博物館は・・・。
↑赤レンガ博物館の外観。
ありました、ありました。
なぜ赤レンガと舞鶴なのか学んでみることにしよう。
海の見える街、東舞鶴。
再び東舞鶴駅に舞い戻ってきた、時刻は午前9時半。
↑JR東舞鶴駅の東口。
東舞鶴駅は西口では、大阪・京都・神戸方面からの高速バスと路線バスがひっきりなしに、東口では、平和堂(スーパーマーケット)やドラッグストアなどの住宅地に別れていた。
まずは、一日乗車券を買いに京都交通の窓口へ。
東舞鶴駅の案内所はケーズデンキの1階の入口付近にある、そこで舞鶴市内の路線バスが一日乗れる切符を購入。
↑反対向きになったが一日乗車券とパンフレット。
今回は、舞鶴かまぼこ手形(税込1300円)は舞鶴かまぼこで使われている板が使われていて、京都交通の路線バスが一日乗り放題。
一日乗車券はペンダント型なので首にかけておくと降りる際に見せるだけなので、ポケットからいちいち出さなくていい優れものである。
という訳で、私は地図を見ながら、まずは赤レンガが並んでいる舞鶴市役所付近に向かうことにした。
「まつおでら」とは読まないでください。
午前9時2分、お目当ての駅、「松尾寺」駅に到着。
↑「まつのおでら」駅の駅名標。
「まつおでら」とは読まず、「まつのおでら」と読む。
ここから、駅名となった松尾寺までは1時間かかるので駅を探険することにした。
松尾寺駅は京都府で唯一、JR西日本金沢支社の管轄の駅である。
駅名標の下の部分は、福知山支社のラインカラーではなく、金沢支社のブルーになっている。
↑金沢支社と書かれている案内類2枚。
駅舎もなかなかの作りである。
↑改札口。
↑有人駅であった名残のもの。
↑松尾寺の駅舎。
松尾寺は周辺の皆さんが清掃や管理されている無人駅になっている。
ホームは駅舎から一段上になっている。
↑松尾寺駅のホーム。
ホームには雪掻き用の機械が設置されているが、今年は暖冬の影響であまり出番がなかったやろなぁと感じた。
ふと周りを見ると、何故か知らないがアーティストの人たち何やろか、写真撮影をしていた。
待つこと約25分、東舞鶴行きの電車が到着。
名残惜しいけど、松尾寺駅とはお別れ。
再び、東舞鶴駅へ戻ることにした。
福知山駅から東舞鶴駅、そして・・・。
今の福知山駅は山陰本線、福知山線、舞鶴線と京都丹後鉄道の宮福線と今のジャンクションの役割は変わっていない。
↑英語になっているけど、7時56分の東舞鶴行きで行こう。
今回の車両はこれ。
↑黄緑色の113系。
ローカルの路線は国鉄車両が頑張っています。
中はこんな感じ。
↑固定式のボックスシート。
113系の昔ながらのゴドン、ゴドンに揺られて約1時間で東舞鶴に到着。
島式ホームで近代的な駅舎に止まっていたのは、小浜線のワンマン電車。
↑小浜線のワンマン電車。
車内はこんな感じ。
↑転換クロスシート。
午前8時55分、東舞鶴駅を出発した電車は海沿いから山の中を快調に走行。
しかし、外は雨が降り始める。
本当に山の天気はコロコロ変わる、今日も天気と向き合うことになるのかなと感じながら走行すること約7分。
最初の目的地の駅に到着したのである。
福知山は鉄道の要所。
翌日。
福知山はどんよりとした曇り空。
そんな中、朝7時15分に福知山駅に到着した。
↑福知山駅の北口。
↑福知山駅の南口。
では、ここで問題。
上下の福知山駅の写真で一ヶ所だけ違っているところがあります。どこでしょう。
答え 上の写真の緑の部分はKTR(京都丹後鉄道の前身、北近畿タンゴ鉄道)なのに対し、下の写真はピンクの文字で現在の会社、京都丹後鉄道の略称・丹鉄になっているでした。
私も見た時は、「ホンマかいな」と思って、2回見比べたけどホントだった。
そして、ここには福知山が鉄道の大切な場所であることを示すものがあった。
↑蒸気機関車と転車台。
C11形式40号は、昭和8年に川崎車両で作られ、方向転換しなくてよいのが特徴で短区間で重宝され福知山にやってきた。
1944年から1956年まで篠山線で走っていたという。
一方、転車台は方向転換や車庫への出し入れを行う装置として、昭和11年から昭和47年まで使われていたという。
福知山で鉄道の要所をスタートの前で感じ、切符を買いホームへ向かった。