龍野の偉人さんたち。
次に訪れたのは小学校もある文教地区。
↑見えてきたのは立派な門。
この門は家老門と言い、江戸時代には脇坂久五郎の武家屋敷として使用された後に、役所として使われていたそうである。
家老門ということから龍野城(今の龍野公園)が広かったかが伺い知れる。
その家老門の近くに龍野の偉人さんたちの資料が展示されている霞城館がある。(外観の写真を撮り忘れてしまった)
龍野の4人の偉人さんとは、
三木露風(赤とんぼの作詩を手掛けた)
内海信之(地方文化の先覚者)
矢野勘治(歌会形式を龍野に持ち込む)
三木清(哲学者。「人生論ノート」や「哲学ノート」がある。)
である。
4人とも龍野市の名誉市民になっている。
霞城館には4人の関係する資料が展示されている。
そして隣には、矢野勘治が晩年過ごした自宅があり、ここが矢野勘治記念館となっている。
↑矢野勘治記念館。
ガラガラと扉を開けると矢野勘治が作詩した一高の寮歌「春爛漫」が流れていて、「貴様と俺とは同期の桜」とちょっと似ていて、学ラン着て肩を組ながら歌う雰囲気を感じることが出来た。
中には矢野勘治が実際に使った机や手紙が展示されている。
三木露風は知っていたけどたくさんの偉人さんがいたんだなぁと驚きつつ、新たな発見をして次へ向かった。