京福バスとえち鉄で福井直感旅〜パートⅢ
永平寺行きのバスは、近くの車庫から旧古市変電所の建物をグルッと廻って静かに到着した。
廻って到着する光景は、以前、「水曜どうでしょう」のサイコロの旅で大泉さんが、深夜バスを高知で待っていた時の場面で、
「深夜バスは、舞台のように回って登場するんですよ」
という言葉を思い出し、私は途中のバス停から乗るのでピンと来なかったが、ようやく始発のバス停ならあるあるだなと理解出来た。
バスの後ろから整理券を取って乗車して、永平寺までの運賃410円を確認して座り、小銭を用意した。バスは定刻通り午前11時25分に永平寺口駅を出発、新しい住宅地と昔ながらのお店が立ち並ぶ駅前を抜けると雪に覆われた田んぼとポツンポツンと点在する家をバックに軽やかに走る。
次第に山あいの細い道を走ること約15分、お店などの門前町が見えたところで終点の永平寺のバス停に到着した。
どうやらここから永平寺までは歩くようだ。
冬なのでそんなにいないかなと思っていたら、観光バスが2、3台止まっていたりとそこそこの賑わいだった。
緩やかな坂を歩くこと10分、永平寺の前に到着して、スマホで一枚パシャっと収める。
↑永平寺の外観
撮り終わってひと息ついた私は、石畳の階段を上がって中を見ることにした。
通用門から中へ入り、拝観料500円を払うと、永平寺のパンフレットと曹洞禅グラフという曹洞宗の小冊子が渡され、さらに進むと靴を入れる袋が渡された。
靴を脱いで袋に入れると、
「階段が多いのでスリッパを履いて歩くことをお勧めします」
という貼り紙があったので、指示に従いスリッパを履いて見て回ることにした。
では、ここで永平寺について簡単にまとめると、
永平寺は、1244年に道元禅師によって開かれた座禅修行の場として開かれて、京都から越前の国(福井県)に移り、曹洞宗の大本山として、僧侶の育成や信徒の信仰の源となっている。
まず、訪れたのは傘松閣(さんしょうかく)で、参拝者の皆さんの控え室や研修、宿泊の部屋になっていて、天井には花や鳥の絵が230枚描かれている。あまりにも広いので、私は真ん中にポツンと座って瞑想したら清々しい気持ちになるやろし、寝転んで体幹チューニングも面白いだろうな。
でも、今日はたくさんの人がいるので、ちょっと自主規制。
そそくさと外へ出て次に向かうことに。
パンフレットに書かれていた矢印に沿って、階段をまた上がる。段数は結構ある。
修業僧の基本道場で、座禅や食事、就寝などが行われる僧堂を横目で見ながら階段を上がりきり、更に歩くと曹洞宗の聖地というべき場所の承陽殿に着く。お賽銭を入れて隣をチラッと見ると、
「お参りを済ませたお菓子です。ご自由にお持ちください」
という貼り紙とお菓子が置かれていた。
私も感謝をしながら、お賽銭を置いてお菓子をいただいた。
承陽殿を後にして、戻来た道を戻ると説法や様々な法要が行われる法堂に到着する。ここで、スリッパを脱いで袋を入れて上がることに。
中では、修業僧の方が先輩の僧侶の人が様々な作法を教えている姿を見ることが出来た。私は、お賽銭を入れて、しばらく正座をした。じっとしていると何か宇宙を内なる心で実感することが出来た。
再びスリッパを取り出して、階段を降りていると、写真を撮っている方がいたので、撮影が大丈夫であることを確認して一枚撮影する。
↑雪に覆われた法堂(一文字廊から)
更に階段を下ると、台所や接待の間がある庫院(くいん)を見る。
階段を降りきったところで、浴室を見て、山門(仏の世界に入る印とされる)に差しかかる。力強い山門の四天王の像を見ると、最後にお手洗いである東司(とうす)を通る。
なお、僧堂、東司、浴室は私語は一切出来ないのだそうな。
約40分ほど見て、気持ちも何かくるものを感じて、感謝しながら永平寺を後にした。
門前町を歩き、再び永平寺のバス停に戻り、バスの時刻を確認する。現在の時刻は、午後12時45分。午後1時1分発の永平寺口駅行きと午後1時41分発の丸岡経由芦原温泉行きがあった。
東尋坊方面なら、丸岡経由が魅力的だが、せっかくフリーきっぷの魅力を引き出したいなぁと思い、永平寺口駅まで戻ることにして、しばしの休憩に入る。
休憩に入ったお店でチラッとテレビを見たら、「世界、ふしぎ発見!」をやっていた。
さすが、民放が2局の福井県、番組編成は何でもありやね。
でも、お昼を食べながら、この番組を見たら、ちょっと良いかも、某公共放送のニュースを見てるよりはとも思ったのだが。
そうこうしていると、永平寺口駅行きのバスが到着した。
次回、パートⅣに続く・・・。