たくやのリュックサックを背負って

このブログは私が日本全国をリュックサックを背負って、見たこと、感じたことをありのままに書いています。どんな旅をしているか楽しみながら読んでください!

庄内の栄えている人たちの日常を感じる。

土蔵から再び戻ると台所に目が止まった。


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↑ものすごいおもてなし料理の数々。


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↑遠くまで見通せる一つ一つの部屋。(茶の間)から。


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↑帳場の再現。

 

普通の家でもあるし、仕事場でもあるし多機能な家になっているなぁと感じる。

 

今まで写真撮影が出来なかった施設が多かったので前回の写真と合わせて、「あっ庄内で栄えていた家って、だいたいこうだったんだ」と感じていただけると嬉しいです。

 

旧鐙屋を出た私は、本町通りを歩き更に西へ西へと歩を進めることにした。

旧鐙屋を見て回る。


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↑鶴岡からよく話に出てくる北前船の模型。

 

鐙屋とは酒田を代表する廻船問屋で昔の性は池田と言ってたが、1608年に領主・最上義光から鐙屋惣左衛門と名乗るようになったという。

 

そして、酒田三十六人衆として酒田の発展に寄与することになる。


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↑鐙屋の高塀。


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↑鐙屋の井戸。

 

土間を歩き続けると別棟に土蔵があった。


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↑別棟の土蔵。

 

別棟の土蔵では映像を通じて鐙屋のことを解りやすく紹介していた。


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↑旧鐙屋の屋根の模型。

 

旧鐙屋の屋根は石置杉皮葺屋根で杉の皮の上に石を置いたもの、これは鶴岡で訪ねた丙申堂と似ているものがある。

 

 

大通りから本町通りを歩く


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奥の細道に関わる標柱が。

 

大通りから酒田市役所がある本町通りを歩いていると奥の細道に関する標柱が。


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↑今は銀行の店舗になっている。

 

写真の銀行の店舗になっているところには、昔、近江屋三郎兵衛宅跡だったという。

 

酒田の地にも松尾芭蕉さんはたくさんの句を読んでいる、それは後程。

 

そうこうしているうちに、次のスポットである旧鐙屋に到着。


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↑旧鐙屋の外観。

 

入場料を払い、パンフレットをもらったあと、係の方から「写真も大丈夫ですよ」とのことなので、写真を撮りながらじっくり見せてもらうことにした。

酒田について知る

本間家旧本邸から再び大通りを歩くこと3分。

 

酒田市の市立資料館に到着した。


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酒田市の市立資料館。

 

ここでは、酒田の歴史や酒田にまつわる資料が展示されている。

 

展示されていた資料の中で印象に残ったのは、「酒田の大火」の展示である。

 

「酒田の大火」とは、

1976(昭和51)年10月29日、17時40分ごろ酒田の中心部にある映画館から出火して強い風にあおられて燃え広がり約12時間近く燃え続けたという。

 

爪跡の写真の一つ一つ眺めていると、まるで戦争の空襲の後の焼け野原とまるで一緒なのに気づかされた。

 

その後、酒田は防火対策を採り入れて復興を果たしたのである。

 


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↑このモニュメントは何だ?

 

このモニュメントは市立資料館の近くの大通り緑地公園にある「防災の搭 はばたき」と言い、私たちはいつまでも酒田の大火を忘れないというメッセージが込められているそうである。

本間家は凄かった。

本間美術館から大通りを歩いて10分。

酒田もやはり風が強くて寒い、寒い。


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↑本間家旧本邸も連休中とあって大賑わい。

 

早速、入場料を払い、玄関でスニーカーを脱いで上がらせてもらう。

 

そして、ガイドさんの案内で広い本間家を見て回る。

 

本間家の歴史は、1689年に初代・久四郎原光が「新潟屋」を開業したことにより始まる。

三代目の光丘が千石船による商いを始めた一方で農業を良くするために土を改善したり、水を良くしたり、風の被害を減らすため防風林を造ったりしたそうである。

 

更に、庄内藩主の酒井家からも信頼され、財政の相談も受けていて、酒田の発展に努めていたという。

 

旧本邸は、家族のみならずたくさんの人が住んでいただけあって、ひと部屋、ひと部屋が広く、もし私が広い部屋に一人いたら落ち着かないやろなぁと感じた。

 

旧本邸は昭和20年まで生活の場として使われ、昭和24年から51年までは公民館として使われたと聞いて、じっくり見るとポスターの貼っていた跡がちらほらと残されていた。


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↑旧本邸の外にある七社の宮。

 

上の写真は、七社の宮と言い、土蔵の中に七つの神々を合祀して、天下泰平五穀豊穣を願ったという。

 

ここで大通りを歩いてた時にちょっと気になった建物があったので一旦戻ることにした。

 

早速、行こうか、酒田巡り。

初めての場所なので地図を手に入れて、散策開始。

 

最初に訪れたのは、酒田の庄交バスターミナルより西側にある本間美術館である。


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↑本間美術館の外観。

 

本間美術館は、昭和22年に戦後でボロボロになった人々の心を励まし、芸術文化の向上のために創られたそうである。

 

特に凄いなぁと感じたのは、庭園である。


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↑キレイに整えられた庭園。

 

この庭園は、本間氏別邸庭園で別名・鶴舞園(かくぶえん)と言い、1813年、4代目の本間光道が造ったそうである。

庭園の整備は、冬に港で働く人々の失業対策としても行われたという。


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↑奥にあるのが清遠閣。

 

庭園の中には清遠閣があり、藩主酒井候が巡回する際の休憩所としてつくられ、昭和天皇もお泊まりになられたそうで、別名・酒田の迎賓館なんだそうである。

 

中を見た時、凄くクラシックな感じがして、階段を上がる際も何か知らないが緊張感があった、それだけ高貴な建物だったのかもしれない。

 

ところで本当は本間家旧本邸を見てから美術館・庭園を見るのが一般的なルートなそうで、私は大通りを歩いて本間家旧本邸に向かうことにした。

 

 

 

翌朝、鶴岡→酒田へ。

2019年5月2日。


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↑雲の多い、鶴岡の朝。

 

外へ出ると冷たい風が吹きすさむ、今日は風が強く寒い一日になるとのこと。

 

再び鶴岡駅前へ。


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↑ようやく青空が見えた鶴岡駅前。


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↑今日は酒田方面へ向かう。

 

利用する列車は7時40分発の酒田行きである。

 

昨日に引き続き、「きらきら日本海パス」なので、切符の心配は無し。


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最上川を渡って酒田へ向かう。

 

更に車両は昨日に引き続きキハ40系の国鉄気動車で2両×2編成の4両編成。

 

気動車独特の音を響かせながら北上。

午前8時16分、終点・酒田駅に到着したのである。

 


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↑よくお世話になりましたキハ40系。


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↑酒田の中心、酒田駅

 

酒田ではどんな展開が待ち受けているか楽しみである。